デジタル・ミニマリズムを実践に移す
デジタル・ミニマリズムという言葉には、しばしば禁欲のような響きがつきまとう。スマートフォンを手放し、SNSを断ち、画面から距離を置く——そんな苦行のイメージだ。だが、この考え方を体系化した計算機科学者カル・ニューポートが著書『デジタル・ミニマリスト』で説いたのは、引き算そのものではない。何のために使うかを先に決め、その目的に資するものだけを意図的に残すという、配分の態度である。
ニューポートの議論の出発点は、私たちの多くがツールを「便利そうだから」という理由で受け入れ、いつのまにか惰性で使い続けている、という観察にある。個々のアプリにはそれぞれ小さな利点がある。問題は、その小さな利点の集積が、気づけば一日の注意の大半を占めてしまう点にある。
禁欲ではなく、配分である
ここで誤解を解いておきたい。デジタル・ミニマリズムは、使う量を競って減らすゲームではない。目的は、本当に価値を感じる活動——深い思考、対面の会話、手を動かす趣味——のために、時間と注意を空けることだ。アーティストのジェニー・オデルは著書『何もしない』で、注意を取り戻すことは怠惰ではなく、何に関心を向けるかを自ら選び直す行為だと論じた。減らすことは、別の何かを増やすための手段にすぎない。
もっとも、価値ある活動が何かは人によって異なる。誰かにとってのSNSは惰性の時間でも、別の誰かにとっては遠方の家族とつながる手段である。だからこの態度は、万人共通の正解リストを配ることはしない。問うのはつねに、自分にとってこのツールはどの目的に資するか、という一点だ。
距離を置き、意図して戻す
ニューポートが具体的な手順として勧めるのは、いったん任意のツールから距離を置き、その後に必要なものだけを意図的に戻す、という方法だ。一定期間、惰性で使っていたアプリを外してみる。すると、本当に欠けて困るものと、なくても支障のないものが、感覚として区別できるようになる。戻すときは「なんとなく」ではなく、どの目的のために、どんな使い方で戻すかを決める。
この手順が効くのは、惰性の利用が「いつのまにか始まり、いつのまにか続く」性質を持つからだ。摩擦の設計で論じるように、再導入のときにあえてひと手間を加えておくと、意図と惰性の境目がはっきりする。たとえばホーム画面の一等地から外す、ログアウトしたままにする、といった小さな段差である。
原則を持つということ
結局のところ、デジタル・ミニマリズムが提案しているのは、自分の時間をどんな原則で配分するかを、他者の設計に委ねず自分で決める、という姿勢である。静けさのアーキテクチャで挙げた構成要素は、その原則を具体化する道具立てといえる。
原則を持つことの利点は、毎回その場の誘惑と意志力で戦わずに済むようになる点にある。何を使い、何を使わないかをあらかじめ決めておけば、判断の回数そのものが減る。静けさは、強い意志で勝ち取るものというより、賢い原則によって日常に組み込まれるものなのだ。