あえて不便にする——摩擦を設計するという選択
近年の道具づくりは、摩擦をなくす方向にひたすら進んできた。ワンタップで決済が済み、開いた瞬間に動画が流れ出し、考える間もなく次のおすすめが表示される。利便性は、ほとんど反論の余地のない善とされてきた。だが、摩擦のなさには影の側面がある。手数がゼロに近づくほど、私たちは意図せぬまま、惰性で行動を繰り返すようになる。本稿では、利便性と摩擦という二つの方向を並べて考えてみたい。
行動デザインを論じたニール・イヤールは、習慣を生む製品が「引き金→行動→報酬」の輪を回すことで利用を定着させると整理した。摩擦が小さいほど、この輪は速く回る。便利さとは、まさにこの回転を滑らかにすることだ。ところが同じ滑らかさが、やめたいのにやめられない利用の温床にもなる。ここに、利便性をめぐる両義性がある。
意図的な摩擦という発想
そこで浮かび上がるのが、摩擦をあえて加えるという逆向きの設計だ。イヤール自身も、抑えたい行動には引き金から遠ざける工夫が有効だと説く。SNSをホーム画面の一等地から外す、ログインを毎回必要にする、アプリではなくブラウザ経由でしか開けないようにする——いずれも、タップから利用までのあいだに小さな段差を作る試みである。
この段差の効能は、惰性のタップと意図ある利用を分けるところにある。本当に使いたいときは、ひと手間をかけてでも開く。なんとなく開こうとしたときは、その手間が立ち止まる契機になる。デジタル・ミニマリズムが説く「意図して戻す」という手順は、この摩擦の設計と地続きだ。
良い摩擦と、悪い摩擦
ただし、摩擦を増やせば常に良いというわけではない。前稿ダークパターンとカーム・デザインで見たように、解約を妨げるために設けられる摩擦は、利用者ではなく事業者の利益のために働く。同じ「ひと手間」でも、誰のために置かれているかで意味が正反対になる。
区別の鍵は、その摩擦が利用者自身の意図に沿っているかどうかだ。自分が抑えたいと望む行動に、自分で段差を設けるのは良い摩擦である。一方、利用者の望む行動を事業者が妨げるのは悪い摩擦だ。前者は自律を支え、後者は自律を奪う。表面的にはどちらも「不便」だが、向いている方向がまるで違う。
滑らかさと段差を、使い分ける
結論を急げば、摩擦か利便性かという二者択一は問いの立て方として粗い。よく使ってほしい行動——たとえば緊急の連絡や、価値ある創作——は徹底的に滑らかにし、抑えたい惰性の行動にだけ、静かな段差を置く。行動科学者のBJ・フォッグが『習慣超大全』で示したように、行動の起こりやすさは、動機だけでなく実行のしやすさに大きく左右される。ならば、しやすさを意図的に配分することは、自分の習慣を自分で設計する有力な手立てになる。
摩擦は、避けるべき不快ではなく、配置すべき道具である。どこを滑らかにし、どこに段差を残すか。その配分にこそ、惰性ではなく意図でデジタルを使うための鍵がある。